月刊桃生亜希子
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三島の小説の方が有名だけど、水上勉の「金閣炎上」の方が現実の犯人の青年僧の鬱屈というかやり切れなさというか、心理描写が素晴らしかった。水上勉自身が臨済宗の小僧として少年時代を送り、故郷が犯人の青年の出身地の舞鶴のお隣の若狭であり、風土の空気がわかり寺の閉鎖性や階級社会の理不尽さを肌で知っているだけに「彼」への共感と哀れみは真に迫るものがある。水上さんはのちに随筆などでも彼とそのお母さんに触れていて、炎上事件に驚いて面会にやってきたお母さんが帰りの列車から保津峡に身投げしたことを書いていた。今は山陰線は新トンネルができて保津峡はほとんど見えないが、わたしもここを通過するとそのお母さんの心情を思って悲しくなる。
水上さんは犯人の林養賢自身と言葉を交わしたことがあり、また同じ相国寺派の寺院で修行したことがあり故郷もすぐそば。おそらく事件当時は個人的に大きな衝撃を受けたはず。しかしその衝撃をすぐには小説にしなかった。いや、できなかった。養賢の生い立ちから丹念に取材して彼の内面に迫り事実を積み上げてほとんどノンフィクションのような作品に仕上げた。事件後何十年もたってから。対して三島由紀夫は確かに名文ではあるけれど、京都にも金閣にも、あるいは禅にも縁も所縁もないながら「美への嫉妬」という観念だけでフィクションを組み立てた。確かにこれは「三島由紀夫作品」。しかし林養賢を、金閣炎上事件を三島由紀夫の美文の材料として利用しただけじゃないか。
三島の「金閣寺」は確かに名文だし名作なのは確かでしょう。コメントされている方もいらっしゃいますが何か美学的技巧が施されているらしい。わたしは高校生の頃に1度読んだきりで詳しくは覚えていない。でも主人公には共感できなかったのは覚えています。生身の人間という気がしなくて、観念的に作り上げたコマにすぎないような。前に書いたように三島由紀夫的な美学を表現するために作り上げたキャラクターにすぎない。ほんとうの「林養賢」からは程遠いような。もちろん小説なんだからそれでもいいんです。しかしそのキャラクターが実像のように誤解されたままでは、あまりに林がかわいそうではないか。その意味で三島由紀夫作品ほどには知られていない水上勉の「金閣炎上」がもっと知られていい。なにより一生報いられることなく保津峡に身を投じることで生を終えることになった、彼のお母さんの哀しい生涯にたいしての「供養」になるんじゃないか。
金閣寺が焼けた日 放火した僧の「その後」 恩赦で出所後、結核に…「美に対する嫉妬と反感」 (withnews)のコメント一覧
https://headlines.yahoo.co.jp/cm/main?d=20170701-00000002-withnews-l26
田原の大あさりさん
(via image-of-neetria)

